1 – 8 第一章 ALMOST PARADISE わだつみの宮にさよなら 日本語版

 帆織  ほおりはあるレポートを書いた。ある川を管理する漁業組合ぎょぎょうくみあいを主題としたものだ。

 水産資源の排他的独占はいたてきどくせんを保障される漁業権ぎょぎょうけんについては、漁業従事者の生活や文化、権利を守るために重要である一方、適切な行使が求められている。佃水軍が闊歩かっぽする大川は、一度死んだとされ、漁業に関する権利関係が多く放棄されていたこと、またよみがえり方が異色であったことなどから、たまたま多くの問題を今のところまぬがれているだけに過ぎない。

 内水面ないすいめんにおける漁業組合の主幹事業の一つに、管理河川や湖沼への遊漁対象魚ゆうぎょたいしょうぎょの放流がある。

 天然資源だけでは個体数に限りがあり、需要を満たせず釣り客を呼べないので、あゆます類などを育成して放流し、遊漁料ゆうぎょりょう徴収ちょうしゅうして釣り客に釣らせるのである。すなはち、川を一本の巨大な釣り堀にする。昨今でこそ、この放流一辺倒いっぺんとうのやり方は見直されてきているものの、一時期、日本の内水面は北海道等の一部を除いて総釣り堀化していたこともあった。 

 しかし帆織が調査したその組合は当時、放流事業すら、隔年かくねんのこどもの日に行われるこい稚魚ちぎょ放流以外にはしておらず、ほとんど形骸化けいがいかしていた。昔、この川で魚をっていたと自称する人の子孫の、そのまた子孫のための養老年金機関となって中学生以上の「大人」から遊漁料を徴収することで運営されていた。

 だからその川の組合から「遊漁対象魚保護のための外来魚がいらいぎょ撲滅事業ぼくめつじぎょう助成金じょせいきん」の申請が出された時には、誰もが(実態を知っていれば)首をひねったはずだ。遊漁対象魚の「放流」はされておらず、むしろその川では撲滅されるべき外来魚、ブラックバスが唯一、やって来る釣り人たちの対象だったからだ。

 日頃、その川に来る釣り人の中には「遊漁対象魚」ではない魚を釣るのになぜ遊漁料を払わねばならないのだ、と現場廻りの徴収人に食ってかかる者もあったが、多くの釣り人は「河川管理費」のつもりで渋々金を払っていた。

 そもそもブラックバスフィッシングは「侵略的」外来生物を対象とし、その上、日本人にはただの魚虐待さかないじめととられることも多い「キャッチ&リリース」を主体とする釣りで、釣り人たちも以前より胸を張ってできなくなっているという事情がある。数百円ごときで騒ぎ立て、今や貴重な釣り場を失うのは得策でないと判断したのかもしれない。あるいは「遊漁対象魚」が「外来魚」の餌になっているのだから、という理屈で納得した人もあった。ならば外来魚を遊漁対象に加えれば話が円滑になると思われ、また大部分の河川管理は実質、国と土建屋がしているのだが、今の問題はそこではない。

 その川では他に幾つも不思議なことがあったのだ。使途不明な助成金にあっさり認可が下りたり、外来魚の推定生息数が撲滅運動の盛んなわりにはなぜか増え続け、それに合わせて助成金の額もまた増え続けたり、そういうことだ。

 帆織は当初、単に、外来種撲滅運動のモデルとなりそうな河川があるから調査せよ、とだけ指示を受けたのだった。そしてのちに、当該河川とうがいかせんが対象として選ばれた理由を聞いてみれば、その川が都市近郊を流れ、それなりに知名度があったからに過ぎなかった。

 環境省の下請けのような仕事で上司もあまり乗り気でなく、帆織は実地に現場を訪れるまで、この仕事はすぐ終わると思っていた。一日かからないはずだった。

 それが車を降り、

「釣れますか」

 何気なく一言、そばにいた若い釣り人へ尋ねたのがきっかけで、

「いやぁ、良く釣れるッスよ」

 気さくに答えた相手の釣り道具を見、携帯端末の釣果ちょうか写真を見せてもらって、ふと疑問に思ったことが未来の変わる始まりだった。

 若い釣り人のターゲットは撲滅運動が進んでいる「はず」のブラックバスで、その上、彼の好成績は彼の手腕しゅわんによるものではなく、ここに来れば誰でもそうだということを帆織は聞いた。写真には五〇センチを超える大物も三尾、含まれていた。よほど鈍い人間でも違和感を覚えたはずだった。なぜならその場所は前々日、大規模な駆除作戦が展開された「はず」で、相当な大打撃を外来魚どもに与えた「はず」の場所だったのだから。

 一.なぜ大規模駆除が行われた場所で、しかも作戦のすぐ後で、駆除対象が豊漁ほうりょうなのか?

 二.駆除は本当に行われたのか?

 三.駆除が行われなかったとすれば、そのための助成金はどこへ行ったのか?

 ありがちな話だ。

 とは言え、専門家ではない帆織には荷の勝ち過ぎる話だった。それで「この川では業者が駆除を徹底していない可能性があり、モデル河川として不適当」程度にほのめかした結論と、その答えを導き出すために用いた資料、データのたぐいを添付して提出するにとどめた。それは客観的に見ても、あくまで彼の仕事の範囲内のものだった。

 誰かの領分を侵したわけでもない、決定的に誰かを告発したわけでもない。ただ自分の微々たる正義感と良心を少し満足させるために、少し方向性のある展開をして見せただけだった、と彼は今でも思う。

 だが、その「少し」が気に食わない人間も居る。

 処分が下ったあとのことで最早知りたくも無かったが、帆織は金の流れについてもう少し詳しいことを当時の上司から聞かされた。

 釣り人の御布施おふせはきちんと自称漁業関係者たちのふところに届いていたそうだが、助成金の方は組合から駆除作業を請け負う業者へと支払われるように見せかけて、どこかの邸宅に掘られた池で錦鯉にしきごいの餌代になっていた、らしい。そしてその邸宅の持ち主は漁業組合を使ったからくりを使うだけあって、農水省のお偉方えらがたと仲が良かった、らしい、云々うんぬん

 帆織の務める水産庁は農水省の外局である。雲上うんじょうの交友関係を下っ端は知らぬ、という言い訳は通じない。

「まぁ、報復人事、という見方もできるけどねぇ」

 上司は言った。なんでも駆除業者を含む関係各所に査察が入ったのは、なぜか流出した帆織の報告書が後押しになったかららしい。ただ、本命まではその効果も及ばなかった。

 そして帆織は大川へとやって来た。

 Ⓒ2016 髙木解緒

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